安全保障関連法案(戦争遂行法案)に
強く反対します!
私達にとって、 9.11、3.11と並んで、7.15は決して忘れてはいけない日となりました。この日、自民党と公明党は、いわゆる安全保障関連法案(事実上の戦争法案)を委員会
で強行可決し、翌日衆議院でも同じく、多くの反対を押し切って強行可決しました。
第二次世界大戦ののち、多くの尊い犠牲の上に手にすることに出来た平和と民主主義が
蹂躙された日として、70年続いた「戦後」ではなく、次の戦争の「戦前」第一日として
記憶されるべき不幸な日となりました。
私の祖父はビルマ派遣独立輜重兵第51大隊3751部隊の大隊長でした。当時既に50歳代
でありながら、太平洋戦争勃発直後の昭和16年12月21日、妻と8人の子供を日本に残して
大阪港を出航。その後タイのバンコックに集結後、道なき峻険ベック山を踏破したのち
ビルマ作戦に参加。そして祖父は翌昭和17年7月15日、激戦地メークテーラにて戦死し
ました。戦争の初めの頃でしたからさいわいと言いますか、遺骨は帰ってきました。
しかしその後この部隊はインパール作戦等の激戦で多くの戦死者を出しました。
終戦までに大隊2440名中1947名が戦死、実に5人に一人しか生還できなかったのです。
しかし硫黄島やほか多くの南方の島々では全員玉砕か、捕虜になったわずか数名しか
生還できなかった部隊も多かったのです。
輜重隊というのは兵站(軍需品、弾薬、食料等の輸送、補充)確保の為の後方部隊で
した。しかし戦闘部隊でないため通常軽武装です。第二次世界大戦当時とは異なる部分
もありますが、米国等の後方支援で兵站業務が主となるので自衛隊に危険は生じない、
むしろ安全です」等という安倍首相の答弁は詭弁以外の何者でもありません。ゲリラ戦
ではむしろ格好の攻撃目標となりおそらくおびただしい数の自衛隊員の血が流される
ことでしょう。
憲法の崇高な理念を踏みにじることは許されません。憲法前文の最後に「日本国民は、
国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と
あります。安倍政権は「現実と異なるから憲法を改正すべき」と言っていました。
しかし国民の賛同が得られず憲法改正が現時点で出来そうも無いとみるや、大多数の
憲法学者や多くの国民達の声を無視して強引に憲法の解釈変更を行った現在の政権の
狡猾非道なやり方を忘れてはいけません。多くの犠牲の上にやっと手にすることのできた
現行憲法の「精神の高み」に一歩でも近づこうとする、いまだ到達できていない道の途
上に私たちはいるのです。目標に到達できていないと言って目標自体をを引きずりおろ
してはなりません。安易に恒久平和の理念を捨て去るべきではないのです。
私は今回自民党と公明党の議員達の名前と、彼ら、彼女らのとった行動を忘れません。
自由に考えること、自由に物が言えること(例えばこのサイトで)、自由に歌が歌える
こと・・・こんな当たり前だと思っていることが出来なくなってしまう世の中になって
欲しくありません。少なくとも70年前迄は実際そうだったのです。これは単なる杞憂では
ありません。つい先週国会中継を見ていて、野党側の要求した過去のPKO関連の資料が
殆ど黒塗りで出て来たことに愕然としました。先立って政府が成立させていた「秘密
保護法案」による結果です。この様なことどもが、私たちの身の回りで、着々と静かに
進行しているのです。
まだ誤った道を正す時間はわずかですが残されています。ひとりひとりが曖昧ではなく
自分の考えをきちんと持って、出来ればそれを表明して行くことが大切です。手段は
いろいろあります。まずは、「わからない」「関係ない」では無く、身近な人々と、
この問題を話し合ってください。自分自身、自分の家族、自分の子供達、未来の子供達の
そして、戦火に包まれた世界ではなく、平和を希求する世界市民の問題として考えて下さい。
今、頭の中では、谷川俊太郎作詞、武満徹作曲の「死んだ男の残したものは」が流れています。
・・・・悲しい歌です。
それでも曲の最後には、私たちは生きているし、あしたはまた来る」と歌われています。
希望はまだ残されています。
自由と平和と歌を愛する、静岡合唱団のたんくま